何店舗出しても潰れたらダメよという話。

多摩出身者としてはいくつも見知った、否、馴染みの深かったお店もいくつも出てきて、懐かしくも少し切ない、また企業経営者として身に摘まされる思いもしたので、このブログも(サーバの)引っ越しやらなにやらで放置しっぱなしだったのを、テーマを変えたりいろいろしたついでに久々に書いてみようと思い立ちました。本日は吉日也。
さて、ダイエーの「らんぷ亭」みたいな大企業が潤沢な予算を組んで、初年度から億を取って当然のような新規事業を展開して終了したような話はどうでもいいのです。
脱サラや職人の一本立ちのような、よーしやるぞと、一旗上げたるぞと、そうして最初の1店舗目を出して、お客さんがついて、軌道に乗って、よし2店舗目だ、3店舗目だと、上げ潮じゃと。売上も100万200万、1000万2000万、1億2億と、これはもう非常に成功していると言えます。
おそらくは創業者(経営者)も人生はバラ色。俺は人一倍努力もしたし、才能もある。だから結果がついてきてると思ったことでしょうし、そういう事実もあったでしょう。
デイリーな些末な課題やトラブルはどの会社だってあるわけですが、総じて仕事はうまく行っている。売上も増えたし、人も増えた。業者だって銀行だってペコペコしてきやがる。だって俺は実力者なんだから。だがしかし。
結局のところ、潰れちゃなにもならんと思ったのです。誰かの淡い青春の1ページに刻まれようが、こういう「今はなき」みたいな特集で懐かしがってもらえようが、今存在していなかったのなら、存在しなかったのと同じ、とは言わないまでも同じようなものだと思ったのです。
もちろん時代を変えるような足跡を残したり、サービスやモノを受けた顧客の心に残ったり、そこで育った従業員や、が後々大きく羽ばたいて世の中に影響を与えたり、そういう稀有なケースは存在意義があったとされると思います。
日本は幕末くらいから続く創業百年以上の老舗企業が世界で一番多い国です。とは言え百年。この間、関係者以外は誰も知らないというレベルの数多の会社が生まれては消えてきたことでしょう。一体、何年くらい続けば、一端の会社と言えるのか。
逆に、続いてさえいればいいのか。潰れさえしなければいいのか。例えば小賢しきお役人様たちが、特殊法人のそのまた子会社などに血税や年金を流し込んで貪り生きているわけですが、あんなのは外道中の外道であるわけで、あればいいというわけじゃない。
そこで、先程挙げた存在意義がポイントになってくるんじゃなかろうか。つまり時代を変えるような足跡を残したり、サービスやモノが人のためになったり、従業員が育って羽ばたいたりするのであれば、例え潰れたって悔いはないどころか、本望だ。それで企業が存続、発展するならこの上ないわけです。
それでも百年はなかなかにして難しい。みなさん、三井や住友みたいな江戸中期以前の大店(おおだな)、いくつ挙げられますか?やはり後継が生き残っていないと記録には残っても、なかなか記憶には残らないものです。
そんなビザインは今年で創業20年を迎えようとしています。なにかやってきたようでいて、なにもやってこれなかった気もします。世の中なんて変えれてないし、モノは少しは広めてこれたと言えるかもしれませんが、まだまだ足跡すら残せていない。
今年はAI元年です。今の大手企業が50年後も大手企業である確率は歴史的に見て低い。店前売りと現銀掛値なしで、大手が犇めく江戸の町に、一旗揚げてやりたいと思う19年前なのでした。
つづく。