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社会規範としての地獄思想

社会規範としての地獄思想

民主党政権になってまた、死刑の執行が進んでおりませんな。僕個人としては、状況証拠しか上がらない中で、本人が否認しているとか、僅かでも冤罪の可能性があるという場合、「取り返しのつかない刑罰」としての「死刑」については反対という考えなんですが、殺人犯となった人の中にも、止むに止まれず殺してしまったというようなケースもあれば、何人もの幼女を強姦して殺害したような、残された被害者遺族の心情的には単なる死刑(日本では絞首刑)では済まされないというようなケースもあるでしょう。

そもそも「刑罰」には、犯した罪への(社会的な)制裁という後付けの効用よりも、「その罪を犯せばそれだけのコストを払うことになるんだよ」という犯罪を未然に抑止するというような効用が期待されているものと思います。つまり子供に「○○したらゲンコツだぞ」とか、ドライバーに「××km/h 超過したら3万円払いなさい」(だからやるなよ)とか言うやつですね。殺人犯を「仕返し」に死刑にしてみたところで、被害者が生き返るわけではありません。
この場合、犯罪の抑止に必要なコストは、犯罪で得られる利益よりも高く設定しなければなりません。つまり「100万円脱税したら追徴課税1万円」だと、脱税した方が断然お得ということになってしまうわけです。

現代の日本で「死刑」は「極刑」とも言われる最高刑で、その量刑の基準は一般的に「被害者2人までは有期、3人は無期、4人以上は死刑」と言われていたようですが、現在ではやや厳しくなっている方向だそうです。だとしても、「2人殺して有期刑」、「100人殺しても死刑」というのが、上で言う抑止のコストとして見合っているものでしょうか。聞くに堪えないような悲惨な殺され方をした被害者の遺族からすれば、「(一瞬で死ねる)絞首刑などまだまだ生ぬるい!」と憤る方もいるのではないかと思ってしまいます。世の中にはそれほどひどい事件もある。

さて、日本に限らず世界中の国々で、かつては「地獄」という思想があって、「罪を犯すと堕ちる場所」とされていました。戦った相手の首を切り取ったり、耳を削いだり、鼻を削いだりしていた時代の発想だったとはいえ、現代の刑罰に比べれば、かなり残酷な仕置きがほとんどです。なんたって、嘘を吐いただけで、ペンチで舌をねじ切られるくらいですから。
西洋宗教の地獄はあまり詳しくありませんが、東洋、少なくとも(日本の)仏教について、いくつかwikipedia先生に聞いてみましょう。

■八大地獄

焦熱地獄
赤く熱した鉄板の上で、また鉄串に刺されて、またある者は目・鼻・口・手足などに分解されてそれぞれが炎で焼かれる。人間界の時間で5京4568兆9600億年を経たないと転生できない。

等活地獄
この中の罪人は互いに害心を抱き、自らの身に備わった鉄の爪や刀剣などで殺しあうという。そうでない者も獄卒に身体を切り裂かれ、粉砕され、死ぬが、涼風が吹いて、また獄卒の「活きよ、活きよ」の声で元の身体に等しく生き返る、という責め苦が繰り返される。人間界の時間で1兆6653億年を経たないと転生できない。

衆合地獄
剣の葉を持つ林の木の上に美人が誘惑して招き、罪人が登ると今度は木の下に美人が現れ、その昇り降りのたびに罪人の体から血が吹き出す。鉄の巨象に踏まれて押し潰される。

叫喚地獄
熱湯の大釜や猛火の鉄室に入れられ、号泣、叫喚する。その泣き喚き、許しを請い哀願する声を聞いた獄卒はさらに怒り狂い、罪人をますます責めさいなむ。頭が金色、目から火を噴き、赤い服を着た巨大な獄卒が罪人を追い回して弓矢で射る。焼けた鉄の地面を走らされ、鉄の棒で打ち砕かれる。

阿鼻地獄
舌を抜き出されて100本の釘を打たれ、毒や火を吐く虫や大蛇に責めさいなまれ、熱鉄の山を上り下りさせられる。 

凄惨ですね。(笑) これほどの責め苦をリアルに数万年受け続けることになるとしたら、幼女を強姦して殺害しようなんて不逞な輩も、きっと思いとどまることでしょう。どう考えても「得られる利益」に見合いません。リアルかどうかは信仰心次第。あると思えばある、ないと思えばない、という世界なわけですが、現代社会では「あの世」は「ない」とされています。これがいけないんじゃなかろうか。
つまり「窃盗したら10年以下の懲役又は50万円以下の罰金」程度の「脅し」じゃ甘くって、「窃盗したらあの世で熱せられた鉄板の上で2万年焼かれ続ける」くらいの方が、犯罪の抑止という意味での「脅し」としては効果があるんじゃないだろか、ということです。

社会規範とは、時代を経て変化していくものではありますが、世界的にも(宗教的な)信仰心の低下が、モラルとかマナーの低下と関係あるという話があります。
ところであの世って本当に「ない」んですかね。いや、あるのかもしれません。凶悪な殺人犯も、今頃本当に地獄の業火で焼かれているかもしれませんね。主に東洋で「死刑」が許容されているのは、社会的にこの「地獄の責め苦」の概念とか知識が普及しているからかもしれません。地獄を知る社会において「絞首刑」は比較的「ゆるい刑罰」なわけですから。

法廷で「被告人は○○を殺害した罪において、阿鼻地獄へ落ちるよう呪殺することとする」なんて判決が出るシーンはファンタジーだとしても、子供に「地獄?ないよw」とか現代科学的に教えるんではなく、もう一度、「嘘ついたら閻魔様に、ペンチで舌をねじ切られちゃうよ~。ものすごい痛いんだよ~。だから嘘はいけないね。」的に活用させてもらってもいいんじゃないでしょか。みたいな。
一方で、中東で爆弾抱えてテロをやらされている若者は、「あの世」で絶世の美女たちに囲まれて、アンナコトやコンナコトしてもらえることになっているみたいです。要は「使い様」なんですなあ。

現代の先進諸国が、特定の宗教と距離を保とうとしているのは、この宗教や信仰心というツールが優秀すぎて、使い手によって恐ろしい効果を発揮してしまうことを経験的に知っているからこそ、メリットは理解しつつリスクを回避している側面が強いんだとは思いますが、それにしても戦後の日本は、戦前の「国家神道」というものへのアレルギーが強すぎて?戦後にアカがそれを利用して?かは分かりませんが、靖国神社の問題含めて、とにかく宗教的なものに全否定的で、社会規範や道徳の向上・維持のためにすごい便利なこのツールを、うまく使いこなせてないんじゃないかなあ。なんて思ってみたわけですの巻き。

 

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