海の日。


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ちょっと時間が空いてしまいましたが、今年も行ってきました千葉県は夷隅の海。
12年前の海の日に、後輩が事故ってしまいました。
一応、それから毎年、海の日近辺で都合のつく人を集めて行ってます。
と言ってもほとんど同じ人間ですが。

若くして死んだので、初めの頃は命日ともなるとかなり大勢の、
20人とか30人とか集まって、BBQしたり、花火したり、盛大にやったものですが、
やはりみんな大人になって、年々行く人も減って、
今年はついに後輩と二人になってしまいました。
僕はできる限り行き続けようと思ってますけどね。

彼は上智の帰国子女で、典型的な「海外で活躍したいから商社!」と入社してきたクチでしたが、
その志も半ばどころか、入口の手前で断念せざるを得なかった無念が想像できるだけに、
生き残った僕たちは、彼の分も文字通り「死ぬ気で」がんばらなくっちゃならないんだ、
「チャレンジできる」ってことが、どれほどラッキーでハッピーなことなのか、なんて、
見送りながら思ったものです。

今生きていれば37-8歳のバリバリの商社マンで、外国に駐在して新しい商売を開発したり、
部下が出来たり、結婚したり、子供がいたり、生きていればそんなこと当たり前で、
面白くもないルーティンに追われながら、文句の1つや2つ言ってるのかもしれませんが、
生きてないからこそ、そういう当たり前のこと、したかったろうな、と思うのです。

逆に、それができている自分は、ラッキーなんだってことを、しっかり自覚して、
毎日を生きてかなくちゃいけないんだと思うんですよね。
チャレンジする権利すら取り上げられたあいつを前にして、
チャレンジすらしないなんて申し訳が立たない!って思うんです。
僕が無謀にもなんの後ろ盾もなく会社とか始めたのも、彼の死から受けた影響、
とても大きかったと思います。

ちょうど、前の晩に新宿で一緒に飲んでいて、彼は当時、横浜に住んでいたんですが、
「このまま明日、千葉の海に行く」なんて東京方面の電車に乗るもんですから、
「気をつけろよ~(笑)」なんて別れてそれっきりです。
死はいつでだって突然です。
津波の被害に遭われた方々も、そろそろまずいかな、、なんて思ってた頃の父も、
その前の日には、まさか運命の日が翌日訪れるとは夢にも思っていなかったはずです。
こう書いてる今だって、1時間後に東海沖地震が起こるかもしれないし、
牛乳を買いに出かけたコンビニの前で、居眠り運転のトラックが突っ込んでくるかもしれません。
だからこそ、生きている間は、しっかり精一杯、生きていこうと、
これ書いてて改めて思いました。

そうそう、今月から一部アイテムをamazonにも出品始めました。
おひまじゃなくっても、一度見てみてください。(笑)

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