昔の家族


baachan

先日実家に帰った時、昔のアルバムを引っ張り出して、親父の写真なんかを、母と見返したりしてた時に、その中からなにか、どっかで見たことがあるような、これぞ戦前の家族ー的な写真が出てきました。母の母、つまり僕の祖母の若い頃の写真です。
右から6番目が祖母、その右の、メガネのおじさんが僕も会ったことのない曾祖父の佐藤吉五郎さんで、大工だったそうです。お葬式みたいで、みんなかしこまってますね。思えばうちは、父方も千住で大工をやってたらしいので、父母両系とも「大工の佐藤さん」だったことになります。

表札の住所は「目黒区自由ヶ丘八十八番地」とあって、今は存在しない地番のようですが、どの辺なんですかね、自由ヶ丘なんて今まで、買い物だなんだって普通に歩いてましたから、かつての自分のおばあちゃんちの前を、知らずに歩いていたかもしれないと思うと、面白いですね。ひい爺ちゃんにしたって、まさか100年くらい後に、自分の今暮らしてる家の前を、ひ孫が知らん顔して歩くことになるなんて、思いも寄らなかったことでしょう。いや、日本がこんなになってしまってることさえも。
大正から昭和への、古き良き日本の香りがしてきます。

この頃の日本の家族には、一家の大黒柱として、俗に言う「雷親父」という存在がいたってだけでなく、行政としての家長制度というものがあったわけですが、古くから日本では、「家督相続」という形で、全ての財産権が戸主から戸主へと受け継がれてきました。
つまり、「兄弟みんなで仲良く」というような、現代では常識とされているような感覚で、父祖伝来の土地などを切り分けて行こなおうものなら、お家の勢いを失う者として「たわけ(田分け)者」とそしられてきたわけですね。規範となる価値基準が、ほんの数十年でこうも転換してしまうというのも、明治維新、そして敗戦を乗り越えてきた日本人の柔軟性とでも言いましょうか。

長い目で見て、こと「科学技術」という点においては、人類は時代を経るごとに「進歩」してきた、「発展してきた」と言って間違いはないんでしょう、きっと。まれに「ローマ時代のコンクリートは現代のコンクリートよりも2倍も強度が高かった」というような「ロストテクノロジー」みたいな話もありますけどね。
でも社会や習慣、良識なんかについてはどうなのかなあ。あまり進歩してないどころか、モラルの低下みたいな面では、むしろ後退しているような気さえします。人は良く「昔は良かった」とか「古き良き」とかいう言い方をしますが、なぜだか「懐かしい」のが大好きです。今の方が良くなったこともいっぱいあるんでしょうけれど、「ALWAYS」なんか見ても、なぜか「昔は良かった」気がする。これなんなんでしょうね。

この写真に写ってる人たちは、今はもう誰もこの世にはいないわけですが、ドラマや小説なんかで、もちろん大正時代や戦前の風景は見たことがあるものの、実際に自分のひいじいちゃんみたいな、直系の先祖というか家族が、僕がまだ影も形もない100年くらい前に、電車でここから30分くらいのところで、確かに生活していたっていうのが、時空を超えて、なにかちょっと不思議な感じがしてきます。
そう考えると、もっと昔、江戸時代とか鎌倉時代とか、縄文時代とか沖積世とかにこの島にいたのは、自分とは無関係の、単なる「お侍さん」とか、「縄文人」とか「類人猿」がいたってことではなくて、自分のじいちゃんたちが実際に生活してたってことですよ?当たり前ですけど。

今から100年後、200年後、1000年後の自分の子供たちとか、どこでどうやって生活してるんだろうなあ。なんて思いを馳せてみたりしたんですが、そういえばまだ嫁さんいなかった。。。w

 


ロープーウェイじゃなくて、ロープ、ウェイですよ?孤高のビジネスデザイナー。佐藤祐太のブログへようこそ。