Category Archives: MARKETING

アフターコロナ(AC)のキーワード、それは、、、ヒミツです。

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さて、すっかり年イチ更新が板についてしまいましたが、皆様、いかがお過ごしでしょうか。後之先です。サボっている間に世間はこれまた大変な事態に陥ってしまいましたというか、大変な事態にならないと書く気にならんのだろ、と思われるかもしれませんが、その通りです。

後之先ですから、医療や政治の問題はさておき、商売の話をいたしましょう。商いを営む者として、一番同情してしまうのは、これまで準備に準備を重ねてきて、ちょうどこの3月4月にお店を出した、出す予定だったという新規経営者の方々に対してです。
先日も、近隣にできたらしい飲食店のチラシが「4月1日オープン!」みたいな見出しで入っておりまして、その方の不安や失望を想像するだけで、まじめに居た堪れない気持ちになってしまいました。ほんとにもう言葉も出ない。運も実力の内。努力に努力を重ねても、「運」が最大級の変数であるのもまた真理です。

飲食に限らず、人気(ひとけ)の消えた街を歩けば、シャッター、シャッター、またシャッター。欧米に比べればまだマシではあるというものの、まさしく「経済が止まっている」のを実感します。
しかし小売業の中でも、不要不急な商品を扱う店舗は閑古鳥からの倒産危機、一方でメディカル、ヘルス関連として賑わいを見せるドラッグストアや、今後間違いなく訪れるであろう景気低迷による消費者の購買力低下を見越した100円ショップなどの株価はコロナ以前より上げている銘柄もあるという具合で二分化しています。

この差は一体なんなんでしょうか。当然、こんな中国発の凶悪ウィルスで全世界が凍りつくことなど、世界のほとんどの人は予想だにしていなかったわけで、ドラッグや100円ショップを「たまたま」やっていた人は「ラッキーだった」に過ぎません。
また、飲食店をもう20年くらいやっていて、少しは資金も貯まってきて、数ヶ月なら耐えられそうだという「ラッキー」な人もいれば、20年コツコツ貯めてきたお金を全部叩いて、漸く自分の店をオープンしたばかりという「アンラッキー」な人もいるでしょう。

1995年には神戸がやられ、2007年には三陸がやられた。ほぼ10年に一度、悲劇は起こっています。しかしいつ、どこの誰がやられるかは神のみぞ知るところ。ですが、経営者たる者、ただ黙ってラッキー/アンラッキーに身を委ねるわけにもいきません。「努力」は比較的回収確度の高い変数なのですから。
ぼちぼち「アフターコロナ」という話が出てきていますが、「人類は常識を変える」などとも言われています。私を含めこの後、コロナ危機を乗り越えた経営者、またその従業員の皆さんは、かつて日本中に、当たり前のようにいた切符切りの駅員さんや公衆電話の修理屋さんになってはならない。

そこで、アフターコロナ、人々の常識が変わった後の世界を少し考えてみましょう。どういう商売なら食えるのか。どういう商売なら、よりリスクが少なく、生き延びる可能性が高いのか。一つ、確実に言えそうなのは、「3密は避けろ」ということ、つまり「避密」、「非密」です。(デデーン)
あんだよ、そんなことかよと、一笑に付す勿れ。我々が集団免疫を獲得し、武漢ウィルスが悪性インフルエンザの一種程度として定着した後も、人々の「3密」への恐怖心は早々消えることはないでしょう。そして、共産中国が同じような管理水準で生物兵器開発を続ける限り、このような漏洩事故、もしくは戦略的拡散は必ずまた起こり得ます。次のコロナでまた「こんなはずでは」などと泣き言を言ってる経営者がいるとすれば、それはもう阿呆としか言いようがありません。一度目は事故、二度目は自己責任です。

また、「避密」は他のリスク対策にも有効です。北朝鮮が新宿(都庁)に一発ブチ込んだら、中国がもっと凶悪なウィルスを東京都心部でバラ撒いたら、直下型地震が起こったら、富士山が噴火したら、、、ほとんど日本は終わりという事態に陥ることは自明ですから、資源の集中は避けた方が良い。
嘗て石原慎太郎都知事が「首都移転」をひっくり返してから、日本は再び東京一極集中へと進み、過疎地を切り捨て、スマートシティの名の下に、効率的な都市集中を目指してきたわけですが、もちろんこれは「平時」の効率性を追求する発想です。だのに、政治家も霞が関のエリートたちも、誰一人として「有事」への備えを口にして来なかった。まあそれはいい。過ぎたことです。しかし、今は有事になりました。今後、米中は冷戦へと進み、最悪のケース、戦闘、戦争さえも起こり得ると考えなければならない。やはり、最終的に、支配したい中国共産党と支配されたくない人類とは共存できないと思うのです。

因って、今後は「密」に対する「散」、「集中」への反省としての「分散」が、政治経済を通して進むと信じたい。都心部のバカ高い賃料も、高高度の商業集積を前提としたものですが、誰がこの閑散とした銀座や新宿のド真ん中に、クソ高い家賃を払って店を構えようと思うでしょうか。
否、そもそももう人は集積しないかもしれません。勤務体系もリモート化が進んだり、企業のオフィスも近郊や地方へ移転して、通勤旅客が減少し、買い物はネットで済ませ、たまの外食は空いてる地元の店に行く。だって、隣の客と肘が当たるような昭和な居酒屋で、ツバを飛ばしあいながらみんな大声でワイワイやるとか、例えコロナがひとまず下火になったとしても、まだ行きたいと思います?

さらに営業時間の観点からも分散は再び進むことでしょう。なぜなら顧客が「空いている空間」を好むから。小池都知事が夜間営業の自粛を求めた結果、昼間の混雑が激化したという件も、「(空間的な)密を避けろ」と言いつつ「(時間的な)密」を後押しするという馬鹿げた話で、「密」は総体として分散させなければ意味を為しません。私の経験上、リモートワークが進めば、必ず深夜帯に活動する人が増えます。哺乳類の原初的形質でもある夜型の人間というのが一定数いるものです。

実は、かつて「時空的な分散」で国家を再構築しようとした政治家がいます。田中角栄っていうんですけど、知ってますか。(笑) この「日本列島改造論」。私は昭和の話が大好物でして、もうかれこれ30年くらい前ですか、社会人になった頃読んだのですが、今読み返してみても、示唆に富み、説得力ある部分が多分にあります。逆に言えば、日本は角さんの敷いた高度成長路線が潰えた後、ひたすらその逆コースを30年邁進してきたとも言えます。角さんの偉人伝や解説本は多々あれど、やはり本人の著した原典に当たるのが最良です。もしまだという方いましたら、この機会に、ぜひ。


日本列島改造論 – 日刊工業新聞社 (1972)


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実名ブログの使い方。(序)

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「ブログ」というメディアが市民権を得て早10数年が過ぎ、
今では当たり前というよりもむしろ、
FacebookやInstagramに押され気味で
既に「旧メディア」と言ってもいいくらいの
位置付けになっています。

それでも画像をパッパと見せて、
カジュアルな「いいね」をもらうだけのSNSに比べて、
自分の意見や考えを、
しっかり伝えようとするならば、
まだまだブログも捨てたものではありません。

「誰でも発信できる」という自由は、
一方で「誰にでも見られてしまう」リスクと裏腹です。
なにも子供の幼稚園の門が写っていたり、
画像にEXIFが残っていたりと言った
「個人情報」に限りません。
「この人は何を考えているのか」と言った、
書き手の「心の中」まで見られてしまいます。

2ちゃんねるなどの「匿名掲示板」と違って、
ブログは同じ人が書き続けるわけなので、
実名であろうと、
HN(ハンドルネーム)などを用いた匿名であろうと、
読み手は書き手に対し、
一定のパーソナリティを想起します。
これがブログにおける「セルフブランディング」で、
書く内容を意識的にコントロールすることで、
「なりたい自分」を演じられるわけですね。

でも、よくよく推敲しながらマネジメントしないと、
やはりあちらこちらにボロが出る。
中の人の住所や、心の中がにじみ出る。
多くの人は素通りしていきますが、
稀に狂信的、変質的な読み手に出くわすと、
炎上したり、事件に発展したりするというわけです。

意識的に「にじみ出」したり、
「炎上」させたりするのではれば問題ないというよりも、
狙い通りとなるわけですが、
思わず「出ちゃった」、「炎上しちゃった」となると
それは「ブログなんて書かなきゃよかった」
ということになります。
パーソナリティのマネジメントが重要です。

ブログを書いて、ネット上で読み手とやりとりする経験は、
商品説明文を書いたり、SNSに投稿したりと、
ネットで消費者と対峙する担当者にとって、
とてもいい訓練になります。
なので最近、うちのスタッフたちにも
「ブログ書け書け」言ってるわけですが、
主に彼らに向けてという感覚ではありますが、
まとめて書いておこうと思った次第です。

部外者の人にとっては、
後之先の「手の内公開」にもなるわけですが、
有益な情報を公開知とすることが、
インターネットのそもそもの利点であったりもしますので、
ここは1つ、人類に貢献したい!
ということで開陳することを決意しました。

前置きが長くなりました。

えー、今回はここまで(笑)

以上、よろしくお願いいたします。

 


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メシ屋の看板に見るディマーケティング。

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少し前に軽くバズったこの看板。ランダーブルーの永江氏が取り上げたことでまた少し、軽めにバズった模様です。うん、軽めにな。

「ディマーケティング」。あまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、コトラー風に言えば、「タバコ会社が喫煙による害をPRすることで云々」という実例とともに語られるこのマーケティング用語は、要するに「顧客を減らすための試み」です。「売らんかな」という視点でマーケと接する多くの人たちにとっては、あまりにも必要のないアーティクルでありすぎて、よく分からないというか、ボクも正直、今まで意識したことはありませんでした。だって必要ないからね。でも今日は、永江氏のアレを読んで、少しピコーン!ときたので、ちょっとメモ書きしておくことにしました。

 「ロクに注文もしないでいつまでもダラダラとくっちゃべってる客」よりも、「がっつり食って飲んで、さっと立ち去るお客様」の方がよほど、飲食店の経営的にはモルト・インポルタンテであることなんて、イタメシ屋でなくても分かります。

安い物を検討している客は(中略)めちゃくちゃ詳しく聞いてきてあげくに買わない

ことや、

クレームも安い物を買う人のほうが多い」

なんてことも、マーケッターやネットショップ店主でなくても、まあ想定の範囲内の知見と言えるでしょう。むしろ実務としてのポイントは、それをどう表現するかということ。

「定年退職して、地元で仲間内だけが集まるような小洒落たビストロをやりたかったんだよね」というような、年金で生活が保証されている店主さんや、「静寂さこそ純喫茶の本願である」とするような、神保町辺りの土地持ちで頑固な喫茶店主さんもいらっしゃることでしょう。そういう人たちにとって、「顧客を減らすための試み」としてのディマーケティングは「やりたいこと」そのものに直結するのかもしれませんが、普通は食うに四苦八苦。家賃に給与に光熱費、お客さんが来なくていいわけありません。

その場合、「ロクに注文もしない~」おしゃべり好きな奥様でも、実はその旦那さんが無類の大酒飲みで、おまけに次は親戚友達大勢連れてきてくれるかもしれないという可能性を感じられないのは、商売する者としては、やはり想像力に欠けると言わざるを得ません。となるとこの看板。ボクはもうちょっと捻った方がいい感じがしました。「手を抜きます」というネガティブな物言いよりは、「がっつり食べる」人へ「丹精込めて作ります」みたいなポジティブな方がノーインパクトというよりも、ノーリスクです。

 商売をやっていると、どこでどうやって人とつながるかなんて、分かったものではありませんよね。探し続けても繋がらない、探してなくても繋がっちゃうのがご縁というものです。ただ、分母としての出会いは、やはり少ないより多い方がいい。これはもう人間社会の真理みたいなもので、だからこそ、ドンピシャのターゲットでないから放置、または敵対したって構わない、というような経営態度は暴論というよりも失策であると思うのです。となると、やはりディマーケティングなんてものは、現実の経営には存在しえない机上の空論でしかないのか。

ピコーン!

確かにそのお店にとって「筋の悪い客」というのはいるものです。そんな筋悪の客にかまってる時間があるなら、その分筋の良いお客さんに手厚く手間や時間をかけたいというのが商売人の情というものでしょう。実際それは正解だと思います。だけど、筋悪の客が次に連れてくるかもしれない、新たな筋の良いお客さんの可能性まで潰してしまうようなディマーケティングを施したのでは意味がない。結局のところ、あらゆるマーケティング施策に質の高低があるように、ディマーケティング施策自体にも質の高い低いがあって、この看板の表現はあまり高くないよね、って話だったのだと思うのです。

一昔前に「選択と集中」という言葉が流行して、既にマネジメント用語としては定着した感がありますが、この「選択」というのは、実は選択しなかった方を切り捨てることを意味しています。この切り捨てる際に、起こり得るネガティブなリアクションを須らく排除して、スマートに切り捨てを敢行し、狙い通りの選択と集中を実現させるために必要な施策というのが、高品質なディマーケティングというものなんじゃなかろうか。この「高品質なディマーケティング」が出来るか否かによって、経営効率ってかなり変わってくるんじゃなかろうか。

例えば、高級ブランドのブティックには相応の顧客がふさわしい。そうでないお客さんが入りづらいと感じるくらいまで、敷居をグッと上げる。店員のユニフォームであったり、所作であったり、店構えであったり、商品の価格であったりをグッと高める。そうすることで、狙うべき「相応しい顧客」の満足感もまた高まる。パーティーなどのドレスコードは強力なレギュレーションを課すわけで、ちょっと趣きが異なるとは思いますが、考えてみれば結構そういう世界ってある。つまり選択した方の顧客に絞り込めば絞り込むほど、切り捨てた方の顧客に対するディマーケティングが進んでいくわけですね。

そういう意味で、先ほどの看板のメシ屋さんは、切り捨てた方の顧客に対してメッセージングしてしまった。本来は「来てほしい」お客さんの方を向いて、来てほしいお客さんと対話するべきだった。すると、切り捨てた方のお客さんは自然と入りづらくなったはずである。みたいな。ディマーケティングを意識した絞り込みと、絞り込みのためのディマーケティング。新たな視点が加わったような気がします。
「他人の振り見て我が振り直せ」と申します。今、ショップのリニューアルをぼんやりと考えているところなのですが、ヤフーストアも開店前。なにか、ビザインショップの次なるブラッシュアップの方向性を感じます。

「嫌われずに遠ざける」のはモテる女に必須のスキルですね。
以上、よろしくお願いします。

 


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