
明治大学学長
大六野耕作殿
はじめまして。
’96営卒、’06GB了の佐藤と申します。
今春、知人の御子息が本学へ無事入学いたしまして、
知人共々喜んでいたのですが、
聞くところによると未だオンライン授業を継続されており、
通常授業の予定は立っていないと聞き及びました。
一体、なんということでしょうか。
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大六野先輩は大学時代の良き思い出と言えば、
なにを思い出されますか。
大学生活でいつが一番思い出深い年だったでしょうか。
私にとっては1年生、そしてやはり春です。
合格した嬉しさ、半分大人になったような開放感、
只々、酒を飲んだり、麻雀をしたりしていただけですが、
なにか毎日ワクワクして楽しかった。
今年の1年生はそれを味わうことができませんでした。
それはコロナで日本、否、
世界全体がそうであったから仕方ありません。
しかし今、幼稚園から小学校、中学校、高校までもが
授業を再開していて、大学だけが
未だコロナに怯えて引き籠もっているとは何事でしょうか。
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私には大人たちのつまらぬ保身のために、
学生たちの青春が犠牲になっているとしか見えません。
自分の任期中に、自分の学部から感染者が出たら面倒だ、
責任問題に発展するかもしれない。
老後の貯蓄も十分でない、ローンも終わっていない、
とにかく感染者を出すよりも、全部休ませてしまえばいい、
そんな短絡的、自己中心的な考えでいるから、
未だ授業の再開に踏み切れていないのではないでしょうか。
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正直なところ、そんなつまらぬ大人たちの老後よりも、
この国の未来を担う数万学生の青春の方が貴重で尊い。
最高学府にに勤める人間というのは、
そういう彼らの未来のため、この国の未来のために
教育者となったのではなかったのでしょうか。
幼稚園よりも人数が多いから?
大学生はハメを外して騒ぐから?
「教えて育てる」のが教育であるはずです。
私には「教育」を放棄しているとしか思えません。
単に学生を「管理」しているだけです。
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そして、これは商売の視点から言っても汚い。
世の中、飲食店も旅館も、歯医者さんも美容院も、
皆コロナと折り合いを付けながら、
なんとか感染者を増やさぬよう、
なんとかお客さんに来てもらえるよう
倒産ギリギリで知恵を絞っているわけです。
それを先に入学金と授業料だけをせしめておいて、
安易に店を閉め続けている。
店を開けて、コロナと、
そして学生とに向き合う努力を放棄している。
金だけ取って!
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そういうこの国の大学組織全体に蔓延する、
横並びで不甲斐ない状態の中でも、
早晩自粛は解除されることでしょう。
だからこそ、
周りの大学がコロナと学生から逃げ回っている
今だからこそ、
本学が自粛解除の先駆となるべきだと思うのです。
明治の先生たちは勇気があるぞ、
学生の未来のために、自分たちがきっちり責任を負って、
各校に先駆けて通学授業を再開したぞ、
さあ、学生たち、大学生活を謳歌せよ、
その代わり、密はちゃんと避けるんだぞ、
こういう姿勢を見せることこそが
本来の「教育」なのではないでしょうか。
大学の気風やブランドを醸成し、
世間の評価を向上させるのではないでしょうか。
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もう1つ。
大学教育も先々はオンライン化されていくのは自明です。
しかしオンライン化の進展は私学の衰退、
そして最終的には消滅につながることに
気づいていらっしゃいますか?
大学間には偏差値的な意味での格差があり、
それが基盤となって世間の大学の評価となっている
という現実があることに疑問の余地はないと思います。
なぜ入学試験をしてきたのでしょうか。
それは座席数に限りがあったからです。
物理的なキャンパスの広さ、教室数、座席数、
教員数などが決まっていたから、
入学試験で人数を絞ってきたわけです。
ところがオンラインが主流になれば、
全くそうではなくなります。
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東大の有名教授の授業が誰でも自宅で受けられる。
オックスフォードやハーバードの授業が自動翻訳で、
世界のどこからでも受けられる。
否、もう既にその頃には優秀な研究者、教育者たちは
大学という組織に在籍していないかもしれません。
実力のある教育者は、世界の学生たちに直接教え、
優秀な研究者は、世界から直接寄付を募ることができます。
そんな時代に、誰が大枚を全額先に支払って
三流の大学のオンライン授業を視聴するのでしょうか。
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もちろん今はまだ「大学に所属すること」自体にも
意義があると言えるでしょう。
なぜなら昔大学に所属していた記憶を持つ我々世代が
学生たちを評価しているからです。
我々自身が、大学生活には意義があった、
と信じているからです。
しかし「大学に所属することの意義」とは
一体なんでしょうか。
自宅のパソコンで
必要なコマ数分の授業を視聴することでしょうか。
私は全く違うと思います。
仲間たちと一緒に青春を過ごすことだと思うのです。
そもそも学部の授業など
wikipediaに毛が生えたようなものです。
否、事柄によってはWikipediaの方がよほど詳しい。
あれに良く出席したから優秀だとは全く思えない。
大学に所属する意義、
それは授業を受けること自体ではなく、
仲間たちと共に学び、過ごすことだと思うのです。
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今、日本の大学がやっていることは、
その両方の意味で自滅への道を加速しています。
大人たちのつまらぬ保身のために。
そんなつまらぬ人間たちにとっては、
日本の100年後などどうでもいいのかもしれませんね。
だからこそ、
明治には他校に先駆けて自粛を解除して欲しいのです。
否、全ての大学を調べたわけではありません。
どこかの立派な大学は
既に通学を再開しているかもしれませんが、
兎に角、先駆のグループであるべきです。
明治は授業の再開遅かったよね、
などという汚名を後世に残すべきではありません。
命惜しむな、名こそ惜しめ。です。
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仮に注意に注意を重ねた上で学生たちがハメを外し、
結果的に感染者が出たとしても、
責任を取って勇退すれば良いではないですか。
あの学長は気骨ある人だったよね、
あの学長は立派な人だったよね、
周りの人間というのは見ているものです。
学生個々人の胸にしっかりと刻まれることでしょう。
反対に、あの学長は学生たちの青春と引き換えに
学長の椅子にしがみついてた、なんて
そんな風に誹られても平気でいられますか?
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一度しかない、学生たちの青春のために、
勇気を出して欲しいのです。
社会全体のことなんかよりも、
まず自校の学生たちの青春に賭けていただきたい。
愛する母校と学長殿の奮起と、
勇気ある決断を願っています。
学生たちに一生褪せることのない青春を!
一卒業生より。
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