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とある大手新聞社のサイトに、こんな記事がありました。
内容は「左翼メディアの低質化が止まらない!」
という産経によくあるものなんですが、その中で、
マスコミは、行政・立法・司法の三権と並ぶ「第四の権力」とも呼ばれる。政治家からは、真顔で「本当は第一の権力だろう」と指摘されることも多い。ならば、自制心と自浄作用を失ったマスコミ権力は誰が監視するのか。
という記述がありまして、従来的に言うと「市民だ!」
となるわけですが、ふと考えてみると、
これはインターネット上の「ネット世論」
そのものなのではなかろうかと思った次第。
実名制を基本とするFacebookはこれには当たらなそうですが、
主に匿名メディアですね、
そこに溢れる市民の本音が
実世界を即座に動かすようになりました。
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日本では政治家が謝罪に追い込まれたりするくらいですが、
アフリカなどでは政権が倒れてしまいます。
今や普通の主婦でもまとめサイトくらい読みますし、
Facebookのアカウントは持っていることでしょう。
たまにオシャレなランチをUPするくらいの人でも、
知人がシェアする政治的なニュースも目にはして、
周囲にヘンに思われないよう「いいね」はせずとも、
そこでなにかを感じてはいるはずです。
なぜ今さらそんなことを言うかというと、
ここのところ、レガシーとされる大手メディアの体たらくが、
白日の下に晒されるというケースが
本当に増えてきたように思うんです。
捏造や推測が記者の主義主張によってのみ配信されてきたことを、
市民がネットで簡単に裏取りできることで、
頻度、程度ともに急増、激増してきた、と。
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面白いのはこの「第四権力」の真ん中で胡座をかいてる連中が、
その歴史的な権力移行期の只中において、
それに全く気づいていないフシがあるところです。
革命的ではない、
緩やかな衰退期にある権力階級というのは、
武士やジェントリの勃興期における
日本や英国の荘園領主たちのように
そういうものなのかもしれません。
ぼんやりと新興勢力を下に見ながら力を失っていく。
大多数の中道からの生暖かい視線を全く意に介せず、
「アベ叩き」に奔走する朝日や東京新聞は元より、
この産経の記者ですら「誰が監視するのか」ですから。
もちろんこれは「(あなたたち自身ですよ)」
という趣旨の反語として語っているのかもしれませんが、
とにかく、
これまでふんわりと「第五の権力は市民自身だ」
とされてきたのが、
漸くその輪郭がはっきりしてきたのが、
ここ数年の流れなのではないでしょうか。
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この第五権力は旧来の三権に対しては、
最終的には「投票」という行動で権力を行使できます。
判断基準とする情報収集はもう第四権力に依存することなく、
SNSを含むネット上で行っています。
第四権力に対しては、不買という形で権力を行使します。
稀にフジテレビへのデモなどもありましたが、
多くの場合、日本人的な奥ゆかしさからか、
静かに距離を取るようになります。
朝日新聞の「押し紙」を除いた実売数の凋落も
すごいらしいですが、
そもそも若手は新聞すら読みません。
いま朝日新聞社の経営を支えているのは、
おそらく学生運動にノスタルジーを感じるだろう
70歳以上の年金と貯蓄です。
オマケにこの層はネットに不得手というボーナス付き。
そしてこの層の貯蓄は平均年齢的に言っても
あと10数年で尽きることは自明です。
第四権力は法に基づく基盤はありませんから、
大幅にその権力を低下させることでしょう。
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グループ企業としてのテレビ局や、
下位の事業部門としてのネット部門は生き残るでしょうが、
そもそもテレビも見ませんからね。
この百年、世界の言論を形成してきた「新聞」は
信じられないことにあと10数年で
駅の切符切りのおじさんたちや街角の赤電話のように、
忽然と消滅するわけです。
「お母さん、新聞ってなあに?」
「えっとね、紙に自分たちの主義主張を書いて、
おうちに配達してたのよ」
「えー?紙に?
それぞれのおうちに配達って、お金かかりそう。。。」
「昔はスマホもなかったからね。」
「なんでその人たちの主義主張を読んでたの?」
「昔はそれが真実だと思ってたからね」
「なんで真実だと思ってたの?」
「昔はそれを確かめる手段もなかったのよ。」
「ふーん、不便な世の中だったんだね。」
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みたいな会話を、おそらく今の子どもたちが
その子どもたちを交わすことになるんじゃないでしょうか。
第四権力が大きく力を失った後、
第五権力は、直接三権と対峙することになります。
否、国民主権の民主主義の下では
三権こそが国民に従属するわけですが、
注意すべきはこれまでと違って、
第五権力たるネット世論に参加するためには、
国民である必要はありません。
日本語が堪能でありさえすれば参加できますし、
共感が得られる主張であれば、
日本語さえ必要ないと言えます。
つまり「国民」ではなく「市民」ですね。
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さらに特異なのは従来の権力階級と違って、
この第五権力には、
他の権力階級の構成員も含まれる点が挙げられます。
裁判官と政治家や、
官僚と新聞社社員は兼務することができませんが、
政治家も新聞社社員も、
匿名という条件下においては
第五権力に所属しています。
政治家や新聞社社員が匿名で
ネット世論に参加、扇動しようとしても、
「日本死ね」のように、
容易に暴かれてしまうのも
またネット時代の特徴と言えるでしょう。
産経の記事が言うように、
第四権力には自浄能力がなく、
少なくとも自由社会の第五権力には自浄能力がある。
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ある意味、
誰もが「大衆」として参加できるのが第五権力ですが、
「大衆」は熱しやすく、冷めやすく、
そして移ろいやすいもの。
また、第四権力というリーダーを失った大衆は
統制の取りづらい集団ですが、
大衆自身の判断力や発想力を維持向上させ続けば、
きっとより良い方向に収斂していくことでしょう。
「第五権力」でググってみたところ、
さすがはグーグルのシュミット会長が本を書いてました。
さすがはグーグル先生の先生。
どうせなら原書で読んでみたいと思ったので
さらにググって見たところ、、
The New Digital Age: Reshaping the Future of People, Nations and Business
全然「第五権力」じゃないじゃん(笑)
これがネーミング力、ライティング力か。
素晴らしい。
僕もまだまだ学ばねば。
そしていつか読もうと思ってカートに入れっぱなしになり、
そのうち「後で買う」にして、
そのまま読まずに終わりそうな気がしますが、
とりあえずカートに入れときました。(笑)
20年後、
我々第五権力に支配される我々自身は、
一体どこに向かうのか。
第五権力をリードするのは何なのか。
想像するだけで面白いですね。
え、面白くない?!
性善説に基いて、
人類の叡智に期待することにします。
(つづく)
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