になりました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。
26年ぶりの10連休が年末年始のお休みかのようで、
昨夜はさながら新年を待つ大晦日のような心持ちで
夜を明かしました。
「平成の大晦日」という感じで
夜を明かしたこともあってか、
今日はなんとなく「令和の元日」
のような気持ちでおりました。
とても清々しい。
東京は雨ですが。
令和は日本にとって良い時代になる気がします。
ビザインにとっても?
先帝陛下におかれましては、
「おつかれさまでした」というより他ありません。
先帝陛下も今年で御年85歳。
普通の「働くおじいちゃん」として見ても、
市井のおじいちゃんたちは一旦60歳で退職するわけで、
現役のまま85歳までやってこられたというだけでも
十分に「おつかれさま」であるわけですが、
天皇、国家元首、国民のスーパースターという、
普通なら10年くらいでヘトヘトになってしまいそうな重責を
55歳から85歳までの30年に渡って担ってこられた。
いやはや、本当におつかれさまでした。
今日からは上皇陛下、上皇様とお呼びするようですが、
上皇という名称があまりにも歴史的過ぎて、
まだしっくり来ませんね。
「上皇」自体は光格天皇以来202年ぶりということですが、
時は江戸。
国元には「お殿様」の大名がいて、
江戸には「上様」の将軍がいる。
多くの国民にとって天皇、上皇は
あまりにもかけ離れた存在であったに違いない。
そういう意味で、
これほどの権威や知名度持つ「上皇」という存在は、
やはり鎌倉時代の後鳥羽上皇や、
平安末、院政期の白河上皇、鳥羽上皇辺りまで遡る。
いやはや、感慨深いことです。
実は私、先帝陛下をお見かけしたことがあります。
上の写真ですが、日付は2008年10月11日。
前々職の蝶理(株)が「設立60年記念祝賀会」を大手町の
まだ建て直す前の経団連会館で開催した時のこと。
会が終わり、同席した先輩方と、
経団連会館の建物を出たのですが、
多くの出席者たちがぞろぞろと東京駅へ向かう中、
自宅が中央線下り方面だったからか、ふと、
「神田まで歩いて帰ろうか」と思いたち、
先輩たちと別れて、
一人反対方向に歩き始めました。
土曜日の昼下がりだったこともあってか、
辺りにはほとんど人気(ひとけ)がなく、
大都会のど真ん中にあって、
妙にシーンとしていたのを覚えています。
神田橋を渡ると、人気のない街中(まちなか)で、
先の方にお巡りさんが数名立っておりまして、
「おや?なにか事件でもあったのかな?」と思い、
ふと、来た道を振り返りますと、
黒塗りのセンチュリーが。
すすーっと。
陛下は後席で皇后様とご一緒で、
おそらくは「いつものように」沿道の国民たちに手を
お振りになるつもりだったのでしょうけれど、
あいにくその前後100メートルくらいは私だけ。
陛下は確かに”私に”(ここ重要)
手を振ってくださいました。(笑)
口さがない友人たちにこの話をすると必ず、
「自意識過剰w」とか、「夢でも見たんだろw」とか
茶化されるわけですが、
本当に周り俺しかいなかったもん。。。
と涙で袖を濡らしてきました。
が、あの時、陛下は確かに”私に”アイコンタクトを賜り、
おそらくは万世一系に通ずる、
神代(かみよ)の神通力をもって、
(ビザイン…がんばってね…!)
と、私めの脳内に直接語りかけてくださったのでした。
あゝ、ありがたや。
何年か前、
同じ会社の後輩がどこかで陛下を見かけたとかで、
写真を撮って、FacebookにUPした時がありまして、
パレードなどの公式行事で
遠距離からというのならまだしも、
割と至近距離で撮ったようでしたので、
「お前、、、よくも天皇陛下に向かって
スマホ向けれたな、、、」と心底蔑んだものですが、
私にとっては、前にすると、言葉を失ってしまう、
自然と背筋が伸びてしまう、
姿勢を正して、頭が下がってしまう、
そんな感じのするお方でした。
おそらくあの方は、天皇家という血統や地位に関わりなく、
人物として相当高位の御魂(みたま)
であらせられるのだと思います。
余談ですが、現代の先進諸国においては、
肉体を持つ「人」は法の下に平等な権利を持つ(べき)
と規定されているわけですが、
我々の「魂」にはその経験による質の高い低いが
あるんじゃないかと感じています。
例えば大昔から何度も「人」をやっていて、
多くの失敗や経験を経てきた魂は磨き、鍛え抜かれ、
もののあはれや道理というものが身についていて、
自然とうまく立ち振る舞えることで、
現世においては人から愛されたり、
ストレスがなかったりして、心の安寧を得て、
割と幸福な日々を過ごしているのではないかと思いますが、
今回はじめて猿から転生してきた、というような魂は、
その中身は、まだほとんど猿のままであるはずです。
あっちでトラブル、こっちでトラブル、
人生は苦難の連続、と感じているのではないでしょうか。
そりゃそうだ、未熟な魂なんだからしょうがない。
世の中には時折「こいつ尋常じゃないな」、
「頭おかしいんじゃないかな」
という人がいると思いますが、
それはおそらく1つ2つ前の前世が本当に「馬」や「鹿」
だったのかもしれません。
思いやりがなかったり、他人(ひと)の物を盗んだり、
高速道路の真ん中で後続車を止めたり、
天皇陛下に間近でスマホを向けたり、etc.…
これは善し悪しということではなくて、
輪廻(संसार)とはそういうものなのだと、
そういう仕組みになってるんじゃないかと、
最近考えるに至りました。
ここで言う前世とは、
今世と隔絶された、1つ前の全く別の人生、
という、いわゆるオカルトめいたものではなくて、
魂がその前入っていた肉体で過ごした時間、
というだけの意味です。
魂はほぼ永遠に存在し続けていて、
時折、肉体に入ったり(生まれたり)出たり(死んだり)
しているだけ(ラジバンダリ)、ということですから、
何万年も何百回も「人」をやってきて、
いろいろな失敗や苦難を経験をしてきた魂と、
ほんの数十年、数回しか「人」をやったことがない魂では、
その悟りや成熟の度合いも
当然違ってきて然るべきというものです。
つまり何万歳の仙人のような古老と、
何十歳の未熟な若者の差のようなもの、
というと想像しやすいでしょうか。
現実社会においては、魂の質の高低と、
現世における地位や名誉が
ほとんどリンクしてなさそうなのが、
実に不思議なところではあるわけですが、
先帝陛下の場合、それが共に高位であった
稀なケースだったのではないかと思います。
ということで話が逸れましたが陛下、
本当に長い間、ご苦労様でした。
あの日賜ったお言葉の通り、
ビザイン…がんばります…!
かしこ。