いつの頃からか、毎年終戦記念日の前後には、靖国神社に行くようになりました。自分の中での「終戦」のイメージは、戦争を扱うテレビドラマなんかで良く見かける、暑い夏の日の午後、外は蝉時雨、古めかしい真空管ラヂオから流れる玉音放送に、茫然と立ちすくむ主人公たちが次々と泣き崩れるようなあの場面、あの光景です。
でも自分が靖国神社にお参りに行くのはたいてい夜。時間はできるだけ遅い方が好きなんです。昼間、なかなか時間がないというのもそうですが、夜なら幾分かは涼しいし、なにより人のいない境内というのが、なにか厳かで、心静かにものを考えたり、祈ったりできるから。
以前はお参りに行くと、「ごくろうさまでした」とか、「ありがとうございました」とか、要するに「先輩方のおかげで、今も日本は平和に発展して続いていますよ」、「これからは僕らがしっかり日本を守るので、安らかに眠ってくださいね」というような、どちらかというと感謝の気持ちで祈っていたわけですが、今年も謝ってきました。「せっかく残してくれたこの国を、こんなに(放射能で)汚してしまってすみません。」と。
なんて思ってちょうど1年前の記事を見てみたら、ほとんど同じこと書いてありますね。(笑) じゃ今年はこの辺で、というわけにも行かないので、ちょっと違うこと書いてみます。
太平洋戦争での敗戦から、連合国軍による占領に至る7年間というのは、正史の上では2672年間とされる日本の歴史の中でも、最大にして唯一の国難の時代だったと言えます。日本海に隔てられたこの極東の島国は、他民族に負けて支配されたという経験が一度もないという、世界史上類を見ない国家でした。
その日本が負けた。他民族に支配された。天皇が謝って人間になった。自国の利益よりも、世界の協調と平和を重んじる国になった。 「敗戦」という、文字通り初めての経験を通じて、日本人は生まれ変わったと言っていい。そういう意味で、「終戦記念日」は単に「戦争が終結した日」というだけじゃなく、民族的には数千年に一度というくらいの、とてつもなく大きな節目の日であると思うんです。
もちろん、僕らの魂の根底に流れる、連綿と受け継がれてきた意識とか情緒、規範なんかはそう変わっていないんでしょうけれど、やはり1945年の8月15日の前と後では、日本人は大きく変わったと思います。
震災直後の、なにもかもが流された、ガレキだらけの被災地で、「また明日からがんばろう!」ってインタビューに応えてらした方がいたのが、とても印象に残ってるんですが、こういう「終わりの日」っていうのは、裏を返せば「始まりの日」であって、終戦記念日も、大きな節目の「終わりの日」であったと同時に、現在に至る、新しい日本の「始まりの日」でもあったと思うんです。
前の日本の転換点で、今の日本の出発点とくれば、大晦日とお正月みたいな関係です。だからいつも15日の夜は、お参りしているとちょっと大晦日のような、よーし明日からまたがんばろうっていうか、そういう気持ちがするんですよね。あれ。しませんか?(笑)
最近は日本人も、だいぶ戦後左翼の洗脳から覚醒してきたように思いますが、まだまだ靖国神社にヘンなアレルギーを持ってる人もいるんじゃないかと思います。普通の日本人が、普通に大晦日に近所の神社にお参りに行くように、ごく自然に、もう一つの大晦日くらいの感覚で、お参りに行けるようになったらいいな、と思うわけです。
※「晦日(みそか)」は本来、旧暦で毎月の末日(三十日=みそか)を言い表します。